2008年6月16日月曜日

被害拡大 余震も続く


YAHOOの地震情報ページより
http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/
6月14日朝の「H20岩手・宮城内陸地震」から63時間経過した。先程16日23:15頃にも震源地で震度4、仙台市でも震度3を記録した。有感の余震は330回を越えていると言う。内陸型の地震としては地震のエネルギー量を表す「ガル」表示で4000を越えて観測史上最大との事である。

死者10名、行方不明者12名。時間が経つにつれ生存の可能性が低くなっていく。一刻も早い救出を願うのみである。

2008年6月15日日曜日

30年と言う時間の重み


気象庁HP「H20年岩手・宮城内陸地震」より
http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/2008_06_14_iwate-miyagi/index.html

昨日14日 午前8時43分頃に発生した「2008年岩手・宮城内陸地震」から26時間経過した。時間が経つにつれ各方面からの情報が集約され被害が拡大しているのが判る。

時恰も30年前、1978年6月12日午後5時12分 当地を襲った「1978年宮城県沖地震」に匹敵する程の地震活動が起きた。今回、仙台市内での被害は殆ど無いか軽微なものだが宮城県北部~岩手県南部の山沿い、山間部での被害が大きい。震源地に近いので当然と言えば当然なのだが、「道路整備作業中」とか「ダム建設作業中」等々、職務中での被災で尊い命が失われた。また、観光地でもあり山荘に宿泊していた宿泊客とその従業員が押し寄せた土砂で行方不明になっている。
道路・橋梁の破損、決壊、倒壊等でその場から動けなくなって自衛隊・消防隊の救援を待っている方々、山村では集落への交通手段が絶たれ「陸の孤島」化した所も。

予てから、将来的に起こると予想されている「宮城県沖を中心とする大規模地震」を想定し、その被害を最小限に食い止めライフラインが復旧するまで各自で対応出来る様に自治体や町内会等で訓練や準備が進められてきていた。

子どもたちの通っている小学校でも先週、「1978年宮城県沖地震」を教訓とした非難訓練が行われていた。

そして、昨日14日は「各種災害によって下校出来なくなった児童たちを学校に迎えに行く『児童引渡し訓練』」が授業参観の後に実施される予定であった!

1時間目の授業開始直後、「本物」の大地震である。子どもたちは担任の先生の指示で机の下に身を隠し、揺れが収まってきてから校内放送の指示に従い校庭に避難した、と担任の先生から伺った。

流石に「訓練」とは違い子どもたちも動揺していたらしいが、先週訓練を行っていたお陰で無事避難出来た様との事。2、3時間目の参観を終えて「児童引渡し訓練」も無事終了した。

30年前のあの日、私は大学のキャンパスで地面が波打ち、屋上からモニュメントが落下するのを目撃した。同じクラスの女子は学外で「ブロック塀」が倒壊し幼い命が失われた現場を見ながら部室に辿り着き青ざめ涙していた。

30年の時間が我々に与えてくれた物はあるのか?実践で役立っているのか?準備は充分なのか?災害発生後の諸活動や伝達方法は?etc,etc.

今回の地震で被災された方々、負傷された方々に心よりお見舞い申し上げます。また、不幸にして命を失われた方々とそのご家族の皆様に哀悼の意を表します。そして、行方不明の皆様の一刻も早い救出と被災地の復旧をお祈り申し上げます。
http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/iwate_miyagi/0806150930.pdf

年度はじめはPTA三昧


(写真は5月最終週の土曜日に開催された小・中学校学区民大運動会の一コマ、濃霧で若干霞んでいる)
4月末~5月上旬、小・中学校両校のPTA総会、歓送迎会を続け様に終了させ今年度のPTA活動もスタートした。この他に地区総会(これも小・中別々開催なので2回!)。小学校分では運営委員会が2回、6学年委員会1回(準備段階の3役会2回)、正副委員長会1回。中学校では広報委員会が3回、運営委員会(取材)1回、教職員の写真撮影/広報誌編集5回。これだけ小・中学校に通っていれば生徒・児童たちから顔を覚えられるのも無理はない。

小学校の学年委員会では年間計画に関して若干の修正が必要になるやもしれないが、委員各位の協力を仰ぎ諸先生方と折衝を続け纏めて行きたい。

中学校での広報委員会、昨年に引き続き受け持ったので「勝手知る我が家」に近い。新委員長の指示も的確で無駄・気負いも無くスムーズに進行している。自分もサポート役をしっかりと務めなければ。本年度の初号は6月末の発行予定で昨年度よりも半月程早く順調に編集作業進んでいる。

2008年4月13日日曜日

卒業・入学・PTA


長女の通う中学校の卒業式でした。


続いて二女、三女の通う小学校の卒業式。

4月になり小学校の入学式の頃には桜の花も開花した。


翌日は中学校の入学式も挙行された。

二月以上もお休みしてしまいました。流石に年度末、年度始めは忙しい。
小、中学校も卒業・入学式と言う二大イベントを完了した。新しい世界に巣立った皆に幸多かれと祈るばかりである。

PTAも年度変わりで役員の改選が行われた。自分は小学校の学年委員長、中学校では広報副委員長を受け持つ事になった。小学校の学年委員には同じ買取型集合住宅の方が副委員長を引き受けてくださったので非常に仕事がやり易いと感じた。(彼女は昨年度、地区委員で副班長を歴任された方であり本当に心強い!)もう一方の副委員長もフルタイムの仕事をこなしながら引き受けていただいた。他の委員の方々も強力に我々をバックアップしてくれるに違いない。

中学校での広報委員は2年連続。昨年度の委員長経験を活かして新委員長を補佐し委員会活動がスムースに運営出来る様協力していく所存である。

諸先生も異動があり小、中学校両校共校長先生が転出・新任となった。校長としての第一歩を当地でスタートされる両先生。我々保護者もバックアップして盛り上げて行きたいと思う。

今月の19日/26日の両土曜日は授業参観の後にPTA総会→学年集会→学級懇談会と続く。歓送迎会も2週連続!毎年の事ではあるが、これが後何年続くのだろうか?(長女が高校に入学となると小、中、高校の3校と増える訳で...)

2008年2月11日月曜日

地区役員選出(中学校)

画像はありません。

2月8日(金)の夜、近所の集会所を使用して中学校の父母教師会地区役員選出の集まりが有った。50世帯余りの班で結構大所帯である。しかし集まった顔ぶれは約半数の世帯で何れも小・中学校で役員を数度経験している方々がほとんど。毎度の事である。私を含む数世帯は小学校の役員を引き受ける予定なので今年度は地区役員(中学校)を免除していただいた。勿論、協力は惜しまない。今年度、地区役員をお引き受けいただいた皆様、思う存分実力を発揮される事を御祈念いたします。

2008年2月3日日曜日

料理


三女と連れ合いによる夕飯のメインディッシュであります。昨日の夕飯時、三女が「何か料理したい」と言う話になりハンバーグを作る事に決定。近所のスーパーマーケットに行ったら挽肉が安かったので大量ゲット。付け合わせは私が調理?した。
大変美味しく出来上がり家族全員完食!大変良くできました!

2月3日02:40追記、そう言えば昨年の大晦日、お節料理の食材を包丁で切っていました。タイトル変更しました。

2008年2月2日土曜日

頭痛

どうやら風邪の様です。葛根湯と鎮痛解熱剤を服用して寝ます。
ところで、鎮痛解熱剤、一般的には「頭痛薬」と呼んでいましたがこれでは「頭が痛くなる薬」でしょうね。でも薬局で「『鎮痛解熱剤』ください」と言うと怪訝な顔をされた記憶があります。一応、薬剤師の免許は御持ちの様子ですが。
それと『薬剤師』って車を運転しながらカーラジオで聴くと『893医師』と聴こえるのは私だけでしょうか?
(『893』を語呂合わせで読んでみてください)

2008年2月1日金曜日

入学試験

画像はありません。県北や沿岸部の私立高校では一足先に入学試験が行われた映像をテレビジョンのニュースで観た。
仙台市内の私立高校の大部分は本日2月1日と2月4日の2回に分割されて行われる。私の頃は私立の各校が別々の日程で試験を開催していたので3~4校の受験も可能であったが、引率する教職員等の問題や家庭の負担を減らすとの声で2分割のグループ化が実施された様だ。尤も、国立系の高専や公立高校の入学試験を含めると1人で3~4回の受験は可能である。

昨日(1月31日)には、公立高校で推薦入試も行われた。知人でも判明しただけで2名の子どもさんが推薦入試を終えられた。
其のうちのお1人は私が仕事でお世話になっている某会社の仙台支店長のお嬢さん。そのお嬢さんと同級生の母親が、その会社にパートタイマーとして事務を執っている。

話しがややこしくなるが、その事務職員の父親が31日に他界された。1年半程前に内科的手術を施されたが余命2年位と家族には話しが有った様だが、その2年を待たず31日の朝に危篤状態に陥り懸命の策が施されたが午後に亡くなられた。

受験生の母でもある彼女とは学校こそ違うがPTA活動の事や吹奏楽の事など共通点が多く訪問する度に話し込んでいたが父親がその様な状態にあるとは聴いていなかった。気丈に振舞われていたのだと思う。
入学試験真っ最中のこの時期である。ご子息の健闘を祈るほかない。

私は公立高校の受験に失敗し私立の工業高校に入学した。大学も志望していた東京の大学(東大では無い!)には1浪しても叶わず地元の大学に進んだ。今思えば両親には非常に苦労を掛けた様である。学資の件もあるが精神的にもかなりな負担を強いていたに違いない。

当家の三姉妹、長女の高校入試まであと2年、さらにその後二人。高校、大学の受験に失敗している私である。大きな事は言えないが自分達の目標に向かって邁進して欲しい。

2008年1月28日月曜日

歯医者


イラストは「てつお使えるイラスト」を使用させていただきました。
28日午後、長女を連れて歯科医院を訪ねた。(三女もお供した)長女はここ2~3日乳歯が抜けかけているのだが、なかなか抜けずに痛がっていた。以前、私が知人より紹介していただいた歯科医院、後に連れ合い、三女も通った医院である。予約も何も無しに訪れたが待ち時間も無くスムーズに長女の乳歯は処置された。(この歯科医院、結構評判が良い様だ)
術後の経過も良好の様で夕食(麺類、家族全員同じメニュー)も完食できた。若干、虫歯も有ったので今後も治療する事にした。

さて長女が歯痛を訴えた頃と時を同じくしてWebニュースで「歯科医もワーキングプアー」と言う記事を見つけた。簡単に言えば開業した歯科医もその設備投資に見合う利益が上がらないし開業医ではなく従事している医師も低賃金化に苦慮している様である。
歯科医(開業医院)数の増加なのかは良く判らないが小児科や産婦人科の医師(医院)数が減っている時代である。バランス良い医師の育成が望まれる。

2008年1月27日日曜日

送迎2


今朝8時の様子。昨日の結果、今日も試合となった。8時15分中学校集合で1年生部員20数名を5台の車に分乗して出発。昨日と同じく我が出身高校には15分程で到着。試合は1試合なので午前10時過ぎには終了との事で、自宅に戻るのも中途半端と考え洗車する事に。当て逃げされてからは塗装の剥がれの恐れもあり洗車を躊躇っていたがここ数日の降雪で融雪剤が路面に撒かれる状況では錆びの可能性が大きいのでワックス洗車で見違える様に輝いた。
車に戻ってきた当家の長女曰く、「綺麗になっていたので判らなかった」。たまには洗車もするのである。

2008年1月26日土曜日

今日は部活送迎


写真は昨夜の誕生パーティーの模様。

今日は中学に通う長女の部活。以前も行われた小生の出身高校までの送迎であった。自分の時代、部活大会等の送迎など考えた事も無かったし実際、そんな事も無かった。親(保護者)の応援などと言う事も無かった。
時代は変わって、野球やフットボール・バスケットボール等々のスポーツ少年(少女)団の様に小学生から練習や大会に親(保護者)が同伴(参加)する様になった。顧問の教職員だけでなくコーチも就いている。一部では自分の子どものレギュラーの座を巡って問題も起きた等と見聞した記憶がある。

当家の長女は中学入学後からバレーボールを始めた。1年生は「球拾い」や「掛声応援」と自分の時代は決まっていたが現在はどんなものなのか?先輩達のためにも頑張って欲しい。

さて、今期の当中学バレーボール部は力がついてきたのか明日の二次リーグまで進んだ。と言う事は明日も送迎である。親としては嬉しい「出動」である。

2008年1月25日金曜日

誕生日


昨夜の予想(天気予報)の通り、朝目が覚めたら白い世界であった。とは言え、予想した程の降雪量ではなかったので一安心。朝食を通常よりも30分早く済ませて7時45分に自宅出発。幹線道路は渋滞していたが降雪量が少なかった為微速ながら進む。8時10分過ぎに区役所到着。これが事故でもあれば上手くは行かなかったであろう。車間距離は充分に。

さて、今日は三女の誕生日である。所謂「ミレニアムベビー」で今日で満8歳。2年生の前期、家庭訪問にこられた担任の先生から「ご家庭でも予習・復習を」との助言をいただいた。
確かに、昨年5月末までは家族全員で某踊り団体に所属し毎週の様に練習やイベントで土・日を費やしていた。6月初めに諸々の理由で退会したが、それまでに取り残してきた時間の代償が上記の言葉だった様に感じる。本人も小学校入学の2年前から会員として頑張り楽しんではいたが我々の道理で子ども達に不都合が有ってはいけないと考えた。

今では学校での授業は勿論、児童館で友人達と宿題を済ませたり家庭での復習等々、本人も必死(?)に頑張っている。まだまだ幼い三女ではあるが我が家の涙と笑顔の泉である。
お誕生日 おめでとう!

2008年1月24日木曜日

守ろうデー


今日の仙台市は発達中の低気圧の悪戯で荒れ模様であった。午後には強風と吹雪となり二女、三女の通う小学校では6時間目の授業を休止し下校時刻を早めた。
仙台市内の小・中学校では毎月、教職員が学校区内の巡回巡視を実施している。また、当小学校ではPTAの健全育成委員会が在校全世帯の協力を仰ぎ最終週の木曜日を「子どもを守ろうデー」と定めて巡視を行っている。
今日は吹雪等の悪天候にも関わらず、保護者巡視員が子ども達の通学路・公園等を巡回した。
昨今、不審者情報は学校からインターネットや携帯電話へのメールで配信されるが巡回・巡視を行う事で不審者や犯罪者の行為を未然に防ぐ意味で、この「守ろうデー」は効果を挙げていると思う。
保護者達とは別に、「守(まも)ライダー」の皆さんの地道な活動も見逃せない。
また、交通事故防止や夏季休業中(夏休み中)の事故防止の為の街頭指導も行っている。季節毎の交通安全運動期間中は勿論だが、幹線道路を横断して通学している地区では一年間を通して小学校開校日の全日、横断箇所での街頭指導を実施している。
前述したが、本校は地域社会との連携が上手く機能しているが故にこの様な事が可能なのだと感じる。
保護者や教職員だけでなく地域社会も子ども達の健全な育成に大きく関わっていると思う。

さて、天気予報ではこの荒れ模様は明日25日まで続く様である。写真の様になっては明朝の通勤が.....
早起きせねば!

2008年1月19日土曜日

PTA活動再開

プライバシー保護の為、画像を処理しております。
前回のUPから10日以上も過ぎてしまった。全く日記調子ではない。
画像は一昨日開催された中学校の広報委員会の編集風景である。今年度最終版の編集作業である。各委員の手によって掲載に必要な写真の選択と依頼した原稿の一部手直しの最中である。
この前日には小学校の地区PTA役員改選を行った。最近の少子化により小学校に在籍する生徒数も減り、必然的に生徒を持つ世帯数が減っている。つまりは何年かに一度は役員の番が廻って来る。
と言うよりは、PTA役員にはなりたくない方もいらっしゃる訳である。一部の方は健康上の問題や介護等で已む無く辞退されているのだがそれ以外の場合役員になりたくない理由に「仕事」を挙げてくる事がほとんど。
ここ数年、ご当地の小・中学校の場合PTA会長はフルタイムでのお仕事を持ちながら立派にその役職を務められている。勿論、会長を支える他のスタッフの方々も有能であるのでPTAの仕事を上手く分担している。人望の厚い方々なので任期切れ近くになると再任や昇格の声が挙がる。
この再任の流れは該当役員の子供さんが卒業するまで続く。卒業までの間に有能な後任を育てるのも会長をはじめとしたスタッフの仕事になってしまうのか?
生徒総数が800名程の当小学校でこの状態である。世帯数の少ない学校ではどの様に対応されているのだろうか?

まあ、拙者の小・中学校時代は「町の名士(多くの場合、市議会議員及びその予備軍)」がPTA会長の役職にあった。肩書きの為の名誉職の場合も多かった様に思う拙である。

2008年1月8日火曜日

飛行機


全くデイリーになっていない。仙台空港に着陸しようとする全日空ボーイング737型旅客機。エンジンナセルにイルカのマーキングがあり通称「ドルフィンジェット」と呼ばれている。現在、世界中で最も数多く飛行している機種である。(737-200とか400とか500等の派生型を含めて)

同じく仙台空港に着陸しようとしている全日空のボーイング767型旅客機。私が生まれて初めて搭乗した旅客機である。グラスコクピット採用で従来までの計器だらけのコクピットから脱却し2メンクルーを実現した最初の機体。

同じ全日空のボーイング777-200型旅客機。767と似ているが長さが違う!777-300型は4発のボーイング747型旅客機とほぼ同じ乗客数が搭乗可能しかも2発であるので同じ路線を飛ぶ場合、747型より燃費が良い。エンジンの大きさは半端ではない。
747型はチャーター機での飛来が多い。また繁忙期にアシアナ航空が747を利用していた。(通常は767型かエアバスA330を使用している。)

仙台空港には離発着していないが、ヨーロッパ諸国が共同開発したエアバス社のA380型旅客機(ボーイング747通称ジャンボは一部2階建て構造だがエアバスA380は総2階建て構造の巨大旅客機である)は通常555名の搭乗者数を誇る。

白状するが私は旅客機マニアである。

2008年1月6日日曜日

初詣


卵シリーズ第三弾!謹賀新年。

本来ならば1月3日に初詣に行く予定だったが前述の「当て逃げ」事件のために翌日に延びた。連れ合い殿の仕事始めの後、車の修理見積もりをディーラーにて行った。12万円程との事で唸ってしまう。今年一年の機運上昇を願う為毎年お参りしている宮城県岩沼市の金蛇水神社へ。参道を歩いていると正面から長女と同じ中学校で同じ1年生のO一家とお会いする。(写真左から連れ合い、三女、二女、長女)



こんなお賽銭の仕方も有る様だ。拝殿・参拝を終えて振り向くとご近所で今度は長女と同級生のO一家(先のO一家とは別!当家を含め三家族とも半径50m内のマンションに居住している!)ともお会いした。偶然と言うか、私達の居住している地区は通常の方々より3日程遅れて正月が来るのだろうか?

2008年1月3日木曜日

Hit and run


2日、昨年暮れ スタッドレスタイヤに交換した連れ合いの車で実家廻り(通称「お年玉回収」)。午後三時頃、拙者の実家に向かいその後夕飯を連れ合いの実家でいただき午後9過ぎに帰宅しようと駐車場に。

無残な姿である。当然の事ながら第一当事者の姿や車も無く完璧な「当て逃げ」である。一般公道では無くマンション駐車場内での「器物破損」行為である。敢えて第一当事者と呼ぶがこの「犯人」は今年の残り365日をどんな気持ち過ごすのだろうか?推測するに義父母と同じマンションに居住する家庭を訪問したか居住している人間である。訪れる度に自責の念に駆られるであろうに。

2008年1月1日火曜日

迎春 2008


神は万人に等しく366日を与え賜うた。

カウンターも知らない間に100を越えていた。自分自身の雑記帳ではあるが来客者が多数いらっしゃると言う事は励みになる。、誠にありがたい事である。2008年、悔いの無い日々を送っていきたい。

昨年のクリスマス・イブの夜、騙し騙し延命措置を採ってきたテレビジョン受像機がついに昇天した。実家で数年、当家でも4年弱頑張ってくれた21型であった。
約12時間、テレビジョンの無い時間を過ごした。冬休みに入っていた子ども達にも「新鮮な時間」であったろう。さりとて年末年始を控えテレビジョン放送が視聴出来ないと言う事は非常に殺気を感じたので「新宿西口」を宣伝文句にしている大型販売店で液晶受像機を購入するに至った。

国内生産を宣伝文句にしている製品。
これで地デジ、衛星(BS、CS)デジタルハイビジョンにも対応出来た。CSでのアニメーション専門チャンネルと映画、ドキュメント専門チャンネルの契約が必要になる(と思う、いや確実に必要だ!子ども達のアニメーション、私の映画・ドキュメンタリー)。
実際にはU線の「GYAO」システムも入っているのだが番組数の少なさが気になっていた処だった。
2007年の「あかしろ歌合戦」は綺麗な画像と良い音質で楽しめた。