2008年6月15日日曜日

30年と言う時間の重み


気象庁HP「H20年岩手・宮城内陸地震」より
http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/2008_06_14_iwate-miyagi/index.html

昨日14日 午前8時43分頃に発生した「2008年岩手・宮城内陸地震」から26時間経過した。時間が経つにつれ各方面からの情報が集約され被害が拡大しているのが判る。

時恰も30年前、1978年6月12日午後5時12分 当地を襲った「1978年宮城県沖地震」に匹敵する程の地震活動が起きた。今回、仙台市内での被害は殆ど無いか軽微なものだが宮城県北部~岩手県南部の山沿い、山間部での被害が大きい。震源地に近いので当然と言えば当然なのだが、「道路整備作業中」とか「ダム建設作業中」等々、職務中での被災で尊い命が失われた。また、観光地でもあり山荘に宿泊していた宿泊客とその従業員が押し寄せた土砂で行方不明になっている。
道路・橋梁の破損、決壊、倒壊等でその場から動けなくなって自衛隊・消防隊の救援を待っている方々、山村では集落への交通手段が絶たれ「陸の孤島」化した所も。

予てから、将来的に起こると予想されている「宮城県沖を中心とする大規模地震」を想定し、その被害を最小限に食い止めライフラインが復旧するまで各自で対応出来る様に自治体や町内会等で訓練や準備が進められてきていた。

子どもたちの通っている小学校でも先週、「1978年宮城県沖地震」を教訓とした非難訓練が行われていた。

そして、昨日14日は「各種災害によって下校出来なくなった児童たちを学校に迎えに行く『児童引渡し訓練』」が授業参観の後に実施される予定であった!

1時間目の授業開始直後、「本物」の大地震である。子どもたちは担任の先生の指示で机の下に身を隠し、揺れが収まってきてから校内放送の指示に従い校庭に避難した、と担任の先生から伺った。

流石に「訓練」とは違い子どもたちも動揺していたらしいが、先週訓練を行っていたお陰で無事避難出来た様との事。2、3時間目の参観を終えて「児童引渡し訓練」も無事終了した。

30年前のあの日、私は大学のキャンパスで地面が波打ち、屋上からモニュメントが落下するのを目撃した。同じクラスの女子は学外で「ブロック塀」が倒壊し幼い命が失われた現場を見ながら部室に辿り着き青ざめ涙していた。

30年の時間が我々に与えてくれた物はあるのか?実践で役立っているのか?準備は充分なのか?災害発生後の諸活動や伝達方法は?etc,etc.

今回の地震で被災された方々、負傷された方々に心よりお見舞い申し上げます。また、不幸にして命を失われた方々とそのご家族の皆様に哀悼の意を表します。そして、行方不明の皆様の一刻も早い救出と被災地の復旧をお祈り申し上げます。
http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/iwate_miyagi/0806150930.pdf

年度はじめはPTA三昧


(写真は5月最終週の土曜日に開催された小・中学校学区民大運動会の一コマ、濃霧で若干霞んでいる)
4月末~5月上旬、小・中学校両校のPTA総会、歓送迎会を続け様に終了させ今年度のPTA活動もスタートした。この他に地区総会(これも小・中別々開催なので2回!)。小学校分では運営委員会が2回、6学年委員会1回(準備段階の3役会2回)、正副委員長会1回。中学校では広報委員会が3回、運営委員会(取材)1回、教職員の写真撮影/広報誌編集5回。これだけ小・中学校に通っていれば生徒・児童たちから顔を覚えられるのも無理はない。

小学校の学年委員会では年間計画に関して若干の修正が必要になるやもしれないが、委員各位の協力を仰ぎ諸先生方と折衝を続け纏めて行きたい。

中学校での広報委員会、昨年に引き続き受け持ったので「勝手知る我が家」に近い。新委員長の指示も的確で無駄・気負いも無くスムーズに進行している。自分もサポート役をしっかりと務めなければ。本年度の初号は6月末の発行予定で昨年度よりも半月程早く順調に編集作業進んでいる。